朝日新聞長野版?
大町スキー場、県内最古・80年の歴史に幕
県内に現存するスキー場で最古の大町スキー場(大町市)が、80年の歴史にピリオドを打つ。営業は昨季が最後となった。長年、地元市民らに親しまれてきたが、各スキー場が大型化した近年、利用者が減り、暖冬傾向で営業日数が少なくなったこともあって、継続が難しくなったためだ。(山田新)
大町市のスキーの歴史は古い。オーストリアのレルヒ少佐が、日本で初めて高田歩兵五八連隊(新潟県)にスキーを伝えたのが1911(明治44)年1月。早くも翌2月には、大町中(現大町高)教員の里見源次郎が同連隊に派遣され、その後、大町中の生徒らに技術を伝達した。
大町スキー場は「中山スキー場」として、27(昭和2)年から使われるようになった。北アルプス登山の開拓者として知られる百瀬慎太郎ら地元の有志が、のこぎりやなたを持ち寄って刈り払いをした。37年には北欧風の3階建てのヒュッテが完成。おそらく県内初という夜間照明も取り付けられた。
戦後の57年に、地元有力者らが出資して大町観光会社が設立された。翌年にリフトが架けられたのを機に、大勢のスキー客が押し寄せるようになった。一時は最寄りの信濃大町駅とスキー場を結ぶバスが、ピストン輸送で客を運ぶ繁盛ぶりだった。
最盛期に1シーズン7万~8万人だった来場者は、次第に減り、ここ2、3年はその10分の1程度に落ち込んでいた。昨季までリフト2基と大型そりの「トロイカ」があり、そり遊びをする子ども連れが目立つファミリースキー場になっていた。
リフトを営業する大町リゾート社の小林義典代表(81)は「このところ赤字続きで、私自身も年をとった。後継者を探したが見つからず、そろそろ潮時と考え、廃業を決めた」と語る。
経営を引き継ぐ人や組織があるかもしれないと、リフトは撤去してこなかった。だが、9月末には市から借りた土地の返還が終わり、リフトなどの構造物は10年10月までに撤去するとの覚書が市と交わされている。
地元紙の信濃毎日新聞にも長野日報にも載っていなかったスクープ!
なんとなく予感がして昨シーズン巡っておいてよかった~。
2月からは土日のみの営業とか、リフト1本しか動かさないとか、経費節減はしていたようですが、やはり入込み人数が激減していたのは事実だったようですorz地元少年レーサーの練習場所としては良いゲレンデだったとは思いますが、それだけでは賄い切れなかったのでしょうね。場所が場所だけに代替地は山ほどあるし・・・。
HPがずっと繋がらなかったのも野辺山と同じ現象だったので、「やはり」という感は否めません。合掌。
20080302の大町スキー場レポ