県観光部は1日、2008年度の県内のスキー場・スケート場の利用者統計調査の結果をまとめた。対象のスキー場100カ所のうち営業したのは94カ所で、利用者の合計は762万3千人と前年度比6・5%減。減少は2年ぶりで、同部は「暖冬や少雪、景気の冷え込みが影響した」としている。
スキー場で最も利用者が多かったのは109万8千人の志賀高原(下高井郡山ノ内町)だったが、前年度比では4・6%減少。北志賀高原(同)の57万人(1・4%増)、白馬五竜(北安曇郡白馬村)の36万人(2・9%減)が続いた。
前年度と比べて利用者が増加したスキー場は17カ所。増加率の大きさでは、20・7%増の7万9千人を集めた駒ケ根高原(駒ケ根市)がトップで、次いでアサマ2000パーク(小諸市)が10・8%増、治部坂高原(下伊那郡阿智村)が6・8%増だった。
スケート場は対象の13カ所のうち、営業したのは12カ所。合計の利用者は1・3%減の30万7千人と2年連続で減少した。
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平成20年度 スキー・スケート場の利用者統計調査結果について
観光部観光企画課
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信濃毎日新聞の新聞記事と長野県観光部の元資料です。
『2年ぶりの減少』と書くと聞こえは良いですが、右肩下がり傾向は変わっていませんねorz
しかも過去の資料に照らし合わせると、762万人というレベルは昭和46年度(71/72シーズン)の672万人~昭和47年度(72/73シーズン)の819万人の入り込み数に相当していますorz
71/72シーズンといえば札幌オリンピックで日の丸飛行隊が金銀銅に輝いた年です。私は丁度小学校卒業の冬であり、担任の先生に恵まれオリンピック期間中は授業は一切無く毎日TV観戦させてもらった記憶があります。ちなみに浅間山荘事件も生中継で見ていました。
72/73シーズンは多分中学校のスキー教室で霧が峰のリフトに乗って初めてゲレンデスキーをした頃だと思います。
そんな時代背景の頃と同じ人員しかスキー・スノボーをする人が居なくなってしまったという事ですねorz当時はシングルリフトしかないような時代ですから、ゴンドラ・クワッドが存在する現在ではリフト待ちが無いのも当たり前といえば当たり前ですね~orz
調べてみるとディスカバージャパンのキャンペーンは既にこの当時始まっていたようでした。スキー列車やスキーバスが数多く運行されていた時代でしょうか。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ディスカバー・ジャパン (DISCOVER JAPAN) とは、日本国有鉄道(国鉄)が個人旅行客の増大を目的に1970年から始めたキャンペーン。個人旅行の拡大や女性旅行者の増加などの社会情勢の変化とマッチし、キャンペーンとしては成功したとみなされている。キャンペーンの副題は「美しい日本と私」。