当って欲しい天気予報は当りませんが、当って欲しくない天気予報は良く当る、の格言?通り夜には雨が降ってしまいました。今回から四之柱の曳行ルートが変わり、夕飯を摂って現地へ行った時には四之柱は既に八剣神社裏へ曳きつけられていました。メインルートの三線路では一~三の柱が練っています。
一之柱の地元の三線路なので練っていてなかなか動きません(苦笑)
練りに練っています(苦笑)今晩は子供達も大手を振って夜遊び出来ます。
いつの間にか降り出した雨は瞬く間に大粒の雨にorz八剣の境内は灯篭や提灯に照らされて明るくなっています。
手長神社御柱祭(小宮祭)里曳祭-石段曳き上げ
前回2004年平成16年は区の協議員、1998年平成10年は御柱委員、1992年平成4年は消防団部長、1986年昭和61年は梃子係(1980年昭和55年は在京で不参加)という立場だったので現地を離れる訳にはいかず、手長神社の石段の曳き上げを見られませんでした。今回はやっとフリーな立場になったので1974年昭和49年以来になる手長神社の石段曳き上げを見に行きました。何と36年振り@@隣の神社にはなりますが、勇壮さと熱気は素晴らしいです。
既に一~三の柱は石段を登っていて、到着時には四之柱がこれから石段を登り始める所でした。
まだ三之柱が中腹辺りで曳き上げ中で詰まってしまい、四之柱は身動きできません。
石段を上り始めたので、メド梃子が良く見えるようになってきました。
アラ、ヨイテコショ~の掛け声と共にひと曳きひと曳き御柱が石段を上がっていきます。このパワーには圧倒されます。
石段に近付ける様になったので登ってみました。中央部にはスムーズに曳行できるよう簡易アスファルトで段差を無くしてありました。道理で早く動く訳だ。
中腹まで登ったら御柱の横の位置に立てました。意外にも追い掛け綱は弛んでいて元綱だけで落ちていかないように耐えているようでした。
簡易アスファルトは途中までしか敷いてなく、残りは石段のままになっていました。心なしか動く速度も遅くなったような気がしました。
上の鳥居が見えてきました。もう少しで石段も終わります。一旦平らなところがあるので御柱の後ろが上がっています。
上の鳥居を潜りその先で石段は終了です。登り詰めた右手に有る中学校は私の母校です。3年間登校時にはこの石段を登り降りしていました。中3の時に御柱があって(昭和49年1974年)翌日の石段はかなり壊れていた記憶があります(苦笑)
一之柱の地元の三線路なので練っていてなかなか動きません(苦笑)
練りに練っています(苦笑)今晩は子供達も大手を振って夜遊び出来ます。
いつの間にか降り出した雨は瞬く間に大粒の雨にorz八剣の境内は灯篭や提灯に照らされて明るくなっています。
手長神社御柱祭(小宮祭)里曳祭-石段曳き上げ
前回2004年平成16年は区の協議員、1998年平成10年は御柱委員、1992年平成4年は消防団部長、1986年昭和61年は梃子係(1980年昭和55年は在京で不参加)という立場だったので現地を離れる訳にはいかず、手長神社の石段の曳き上げを見られませんでした。今回はやっとフリーな立場になったので1974年昭和49年以来になる手長神社の石段曳き上げを見に行きました。何と36年振り@@隣の神社にはなりますが、勇壮さと熱気は素晴らしいです。
既に一~三の柱は石段を登っていて、到着時には四之柱がこれから石段を登り始める所でした。
まだ三之柱が中腹辺りで曳き上げ中で詰まってしまい、四之柱は身動きできません。
石段を上り始めたので、メド梃子が良く見えるようになってきました。
アラ、ヨイテコショ~の掛け声と共にひと曳きひと曳き御柱が石段を上がっていきます。このパワーには圧倒されます。
石段に近付ける様になったので登ってみました。中央部にはスムーズに曳行できるよう簡易アスファルトで段差を無くしてありました。道理で早く動く訳だ。
中腹まで登ったら御柱の横の位置に立てました。意外にも追い掛け綱は弛んでいて元綱だけで落ちていかないように耐えているようでした。
簡易アスファルトは途中までしか敷いてなく、残りは石段のままになっていました。心なしか動く速度も遅くなったような気がしました。
上の鳥居が見えてきました。もう少しで石段も終わります。一旦平らなところがあるので御柱の後ろが上がっています。
上の鳥居を潜りその先で石段は終了です。登り詰めた右手に有る中学校は私の母校です。3年間登校時にはこの石段を登り降りしていました。中3の時に御柱があって(昭和49年1974年)翌日の石段はかなり壊れていた記憶があります(苦笑)
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